洗脳を解く鍵はドライオーガズムにあった?

 ※本稿は個人の意見であり、学術的なものではありません。

  学術的、あるいは単純に事実として間違いである可能性を否定できません。

 

 

 

 1:「洗脳」とは何か?

 

 こんにちは、とりすです。

 

 

 今回はぱっと見重ための題材ですが、そんなことないです!

 まずはじめに、洗脳とは一体なんなのでしょうか?

 

 

 

 例えば、イスラム国に連れて行かれたイスラム教徒ではない子供が「偉大なイスラムの神の為、命を捨てることも厭わない。ジハードの努力とは命を捨てることである」という風に暴力などによって考えを改めたらそれは洗脳でしょうか?

 

  また、我々日本人が「神よりも科学技術の方が正しいでしょww(これを無宗教という名の宗教と呼びます)」という考えを持っているのは洗脳の結果でしょうか?

 

 

 

 コトバンクによると「個人の思想や価値観を,物理的,社会的圧力を加えるなどの操作によって必ずしも本人の欲しない方向へ急速かつ大幅に改変させること。共産主義国家などで行われた強制的な思想改造が知られる。感覚遮断や賞罰の操作などの反復による学習の一つといえるが,その効果は永続的でない場合が多いといわれる。」と書いてあります。

 

  要するに、我々日本人が上記のように考えることは、自分の意思によって神よりも科学技術を信じているので洗脳でなく、イスラム国に拉致された子供が無理矢理イスラム過激派のような価値観を覚えさせられたのなら「洗脳」と言うことになります。

 

  また、この「洗脳」という言葉は、暴力等の「無理矢理」と捉えることのできる要因が含まれることが条件です。

 

  今回はイスラム教を例に出しましたが、キリスト教福音派もなかなかエグいことをしているので、気になる方は「ジーザス・キャンプ」で調べてみてください。

  

 では何故、「洗脳」と「ドライオーガズム」に関係があるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 2:ドライオーガズムと洗脳

 

 ドライオーガズムとは、前立腺を刺激することによって行う射精を伴わない絶頂の方法です。この「前立腺」という器官は男性にしかありませんが、射精を伴わないことから「男が女の絶頂を経験する方法」としても知られています。

 

 

 

 具体的な体験談なども数多く出回っておりますが、今回の記事の内容的におすすめのの体験談は「ポインセチア (id:pandanvalley)」様のこの記事あたりでしょうか。(2018/11/24 閲覧)

pandanvalley.hatenablog.com

 

 

 鋭い人なら僕が何を言いたいのか分かったのではないでしょうか?

 

 洗脳とは       「選択肢のない価値選択」であり

 ドライオーガズムとは 「選択肢(女性器)の無い中で、自分の求める快楽を得ようとする行為」なのです。

 

 

 

 

 つまり、洗脳にかけられた「選択肢がないままに決められた価値観」から脱却できない=洗脳が解けない人々、具体例を出すと「自由主義国家に生まれたし自由主義だったけれども、洗脳によって共産主義に変わった人」は、ドライオーガズムによって「女性器はないけれど女性のような快楽を得た人々」をモデルにすることで洗脳から抜け出すことにつながるのでは?ということです。

 

 

 

 

 

 

 3:一般的な洗脳の方法、解き方

 

 一般的な洗脳の方法として語られるものは「情報の遮断」「善悪の刷り込み」「緊張と解放」「自己否定」です。

 

  チラっと紹介した「ジーザス・キャンプ」では

 ①キャンプ地に送り込み外部からの情報を遮断する「情報の遮断」

 ②ハリーポッターは魔法使いの話だから良くない、欲とは悪魔の囁きであるという「善悪の刷り込み」(それと共に「欲」に見立てたコップをハンマーで破壊するという快楽行為も同時に行っていました)

 ③自律訓練法による身体的な緊張(体が重い、震えるといった症状)から、それを解くことによる解放(この場合は緊張状態の時に「神が近くにいる」と刷り込んでいたので若干ニュアンスが違ってしまうかもしれません。どちらかというと神秘的な体験をさせるのがメインかもしれません。)

 ④今までの生活は欲にまみれていないか?でも今から変われば良いという「自己否定」

 

 この4つを効果的に使い、洗脳後も学校に通わせずに福音派の家庭教師をつけるなど情報の遮断は続きました。

 

  さて、では一体どうすればこの洗脳は解けるのでしょうか?

 その方法とは

 ①色々な人の考えに触れる

 ②善悪でものを考えることをやめる

 ③これまでの価値観を徹底的に破壊し、新しい考えを埋め込む

 ④同情(理解)による新しい価値観への取り込み

 等々があるとされています。

 

  が、下の二つに関しては根本的な解決につながらない為、僕的には疑問が残る方法です。この方法、文字として並べてはみたものの、実行できるかどうかと言われたら難しいですよね?

 

  ①に関しては「そりゃそうだろ」って感じではありますが、問題は他人の考えに触れたところで本人が自分の考えを改めたいと思うかどうかです。

 ②に関しても、実際に今日本でこれができている日本人ってどの程度いるのでしょうか?最近起きた韓流アイドルの問題でも「韓国はこれだから」「BTSだから悪くない!」という意味の無い言い合いが溢れています。

 

 

 

 

 

 

 4:ドライオーガズムを中心に考えることの有用性

 

 さて、皆さんはもう「方法が分かったところで意味がない」と言うことに気がつきましたね?それではいよいよ「ドライオーガズム」の有用性についてのお話です。

 

  ドライオーガズムを成功させた人たちは①によって「そんな方法があるのか」と言うことを知ります。そして②で「自分が男とか女とか関係ないんだ」と理解します。

 

 ここでなによりも大事なことが一つ、ドライオーガズムを成功させた人たちは果たして本当に最初から「心からドライオーガズムを体験したい!」と思っていたのでしょうか?

 

 

 

 

 これはあくまでも僕の友人の意見ですが「最初はただの興味だったけど、やってるうちに本気になってきて、何回かやるうちに夢中になり、成功したときに達成感や男女の垣根を越えたという意識が芽生えてきた」という意見がありました。

 

  洗脳にかかった人たちにもこれは使えるのではないでしょうか?以下のような場面を考えてみましょう。

 

  共産主義者(元 自由主義者)(以下 共)「そういえば自由主義とか言う傲慢でふざけた考えもあったなw、自由だと好き勝手に贅沢ができて?考え方も自由?くだらねぇw 昔の俺アホ過ぎなww」

 

   ↓2週間後

 共「第一ブラック企業だって社長に社員を好き勝手に働かせる自由があるからだろw。産業革命の時代に「レッセ・フェール(自由にやろう!)」の考え方で大量の労働階級が死んだのに反対して共産主義ができたってのを分かってねぇなあw」

 

 ↓2週間後

 共「うわっ、うちの代表の写真の写り悪すぎだろ、ちょっと体調悪そうに見えるぞ」

 共2「おい!なに代表の悪口いってるんだ!」

 共「いや、悪口じゃねぇって!ただ写りが悪いって思っただけだよ」

 共2「代表が自らこの写真を選んだんだ! なら俺たちもそう思うべきだ! そう思うこと自体が間違いだろ! 代表に写りの悪い瞬間なんてねぇよ!」

 共(写りが悪いって思うくらいいいじゃねぇかよ。ん? これって自由主義みたいな考え方じゃねぇか!?やべぇ!)

 

 ↓2週間後

 共(あー、この前の胸くそ悪い考え方が気になって仕方がねぇ)

 「twitterでもみるか。お!なんだこの靴!?超かっけぇ!」

 

 共2「おい」

 共「分かってるって、みんな同じ靴履かなきゃいけないんだろ?」

 共2「いや、だから履く履かないじゃなくて皆と違う靴を履きたいと思うこと自体が...」

 

 ↓1週間後

 共「自由主義についていろいろ調べてみたけど、俺はやっぱりオシャレしたい。自分がガキの頃の写真見てたらオシャレしててすげー楽しそうだし! 絶対ここを抜け出して自由主義の国に行って自由を満喫してやる! 」

 

                           END

 

 

 

 

 

 

 まぁ、色々と無理があり過ぎる話ですが、言いたいことは伝わりましたかね?

 最初は存在を知るだけで良い、そのうち興味がわいてくる、努力はそれからでも遅くないということです。

 

  最初から努力だなんだというのはあまりにも難しすぎます。ドライオーガズムは成功せずとももしドライオーガズムが成功したらどれほど気持ち良いか?ということが一度頭に浮かべば、ふとした瞬間に必ずもう一度「ドライオーガズムに挑戦しよう」という考えが生まれます。

 

  文字として並べた洗脳の解き方よりもドライオーガズムから考えた方がずっと分かりやすいことが理解していただけましたか?

 

 

 

  5:終わりに

 

 この記事の着想はネットの友人と適当に話していたときにふと浮かんだもので、それからこの記事が完成するまで1日も経っていません。つまり、本当にただの僕の独り言のようなものであるということです。

 

 

 冒頭で述べたとおり、学術的、あるいは単純に事実として間違いである可能性を否定できませんが、暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。それではまたいつの日か!